Atelier Bonryu

 

静勝熱

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第5回翔作品展出品(2001.03.10)

静勝熱

 新しい世紀が始まって最初の「グループ翔作品展」の篆刻作品として老子第45章の「静勝熱」を選びました。「諸橋轍次、中国古典名言事典」から探し出した句です。漢文で書かれた中国古典には珠玉の名言が凝縮しており、老子第45章も例外ではありません。 中国古典名言事典の「静勝熱」の項には「静勝てば熱」と送り仮名が振ってあり、「活動しているときに熱を生じるかのようであるが、実は静の状態が勝ったときに真の熱が生じる。尊ぶべきは動よりも静なのである」と説明があります。どうも、これだけではよくわかりませんので老子第45章全体を読んでみることにしました。参考にしたのはやはり諸橋轍次による「老子の講義」(大修館書店、昭和48年発行)です。原文と読み下し文は下に書いてある通りです。

大成若缺其用不弊

大盈若沖其用不窮

大直若屈大巧若拙大弁若訥

躁勝寒静勝熱

清静為天下正

(老子:第45章)

大成は缺(か)くるが若(ごと)くなれども、

其の用は弊(つ)きず。

大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若くなれども、

其の用は窮(きわ)まらず。

大直(たいちょく)は屈(くつ)の若く、

大巧(たいこう)は拙(せつ)の若く、

大弁(たいべん)は訥(とつ)の若し。

躁勝てば寒、

静勝てば熱。

清静なれば天下の正と為る。

(老子:第45章)

 ところで、最近、私の蔵書の中に、学生時代に読んだと思われる「魚返善雄著、漢文入門」に眼が止まり、再度読んでみることにしました。この本は1966年著者の没後すぐに刊行された遺作ですが名著の誉れ高く、今でもインターネット上に関連する記事を多く見つけることができます。多くの有益な知識を与えてくれる上、非常に面白い本なのですが、この本の中で幾度か繰り返されている印象的な内容で特記しておきたいのは次のことです。すなわち、「漢文が三、四千年も前の中国で、はじめて書かれたころには、紙もなければ万年筆もないから、牛馬の骨や亀の甲らに、小刀でほりつけたものです。そこで、できるだけすくない字数で用をすませようとしました。ちょうど、現代の電報のようなものです。 ・・・・ 漢文も一種の暗号として生まれてきたものです」ということです。暗号ですから、普通の書き言葉や話し言葉のような文法が厳密にある訳ではなく省略も多いですから解釈には十分注意しなければなりません。この本にも、例えば「カネオクレタノム」という電報文が「金送れ、頼む」ではなくて「金遅れた飲む」と間違うことがないように注意しなければならないと書いてあります。もっとも、今では電報の役割は慶弔の挨拶になってしまったようでこのようなことに使うという発想自体ないでしょうが。


 漢文は、いつでもそうなのですが、老子の漢文は特にこのような注意が必要であるような気がします。漢文自体、語順が少し英語に似ているとはいえ、英語とは違って、名詞、動詞、形容詞、副詞等の区別、あるいは、どの語が主語でどの語が述語かということがはっきりしませんし、多くの場合、老子では、短い「暗号」の中に、普通の常識に反するようなことが書いてあって、まさに暗号を解読するようにして文章を解釈しなければなりません。それでも、この「老子第45章」の前半はそれほど問題なさそうです。まとめると大略次のようなことです。すなわち「大いなる製作品は欠陥があるように見えても活用範囲は広く、いっぱいに満ちている物は空洞があるように見えても全てを極めることは出来ない。まっすぐに伸びている物は曲がっている物のようであり、非常に巧みな物はむしろ拙劣な物であるようであるし、大いなる雄弁なのものはむしろ訥弁であるかのようである」。「老子の講義」によれば、このあと「すべて俗人の眼から見たものとは、反対の姿を持つのが実際である」とつなげて「普通は騒げば熱くなると考えやすいが騒ぎも度を過ごせばかえって寒くなり、真に静かさが勝つと暑くなるのである。故に熱を得んとすれば静かさを守る心がけが必要で、静かなる態度を維持すれば天下の標準となることができる」と結んでいます。要するに、第45章は「本当の熱いこころというものは静かさによって得られる」ことを言っているわけで、「静勝熱」はまさに「静勝てば熱」なのです。


 私は、諸橋轍次の中国古典名言事典でこの句を知ったという経緯もあってこの解釈がもっともらしいと思っていますが、インターネットで調べるとこの解釈とは全く違う解釈がかなりあることを知って驚きました。この解釈とかなり違うように思えるのは、「躁勝寒静勝熱」を「躁は寒に勝ち、静は熱に勝つ」と読んで「騒げば暖かくなるので寒さに勝ち、静かにしていれば暑さ(熱)に勝つことができる」というものです。確かに、節電の夏あるいは節電の冬を乗り切る教訓としては適切かもしれません(この文を書いているのは2012年7月で世の中は節電の話題でもちきりです)が老子がそんなことを考えるとは思えませんし、第45章前半とのつながりを考えると、やはり、前に記した解釈が当を得ているような気がいたします。 もちろん、上にも書いたように、漢文は「暗号」ですから暗号を解く正しい鍵が見つからない以上、本当のことは書いた人に聞いてみなければわかりませんしいろいろな解釈があっても当然なのですが。

参考文献

*諸橋轍次、中国古典名言事典(講談社学術文庫397、1979.3.30)

*諸橋轍次、老子の講義(大修館書店、1973.9.10)

*魚返善雄、漢文入門(社会思想社現代教養文庫578、1966.12.15)